鯉之介の"cat_tounge"『無頼漢』02
名和弓雄先生にお聞きした、時代考証のお話。
◆師・名和弓雄の語る『八丁掘同心ばなし』
八丁掘同心と黄八丈
テレビの時代劇の同心の服は「黄八丈」が多いのですか、と質問したところ、「流行もあったと思いますが、こんな事が理由の一つ二つかもしれない」と言い、お話をして下さいました。
江戸時代初期頃には、黄色という色は「不浄を除く」色とされていたそうです。つまり一種の魔除けの色とされていたのだそうです。文献に書かれている資料によれば、無地の黄紬は医者が好んで着たようですし、下級武士や比較的身分の低い御殿女中の晴れ着であったとも書かれています、とお話しくださいました。
また、享保12(1727)年、江戸新材木町の材木商白子屋庄三郎の養子又四郎の妻お熊が手代の忠七と密通し、又四郎殺害未遂事件を引き起こしました。時の町奉行・大岡越前守の裁きにより、2人は町内引き回しの上獄門に架けられることになったときに、お熊が黄八丈を着ていたことから一時女性からに嫌われましたが、安永4年(1775)、お熊・忠七の事件が「恋娘昔八丈」(お駒才三)という浄瑠璃となって大当たりを取り、さらに翌年中村座で狂言として上演された時にお駒役の瀬川菊之丞が黄八丈を着て舞台に出たところから、ふたたび黄八丈がもてはやされることになり、流行になった事があるそうです。
と言うことから、同心達は流行や魔除けの一つとして「黄八丈」を着ていたのではないでしょうか、というお話でした。
また、同心の着物の着方には特徴があり「七五三五分周」と言い、動きやすいようにあえて短くして着ていたそうです。
十手について
また、同心は十手を袱紗(ふくさ)に包んで懐に入れるか後ろに刺して腰には刀だけをさしていて、十手を腰にさすのは演出としての意味あいが強く、腰にさしておくと取り出しやすいことから、時代劇では十手を腰にさしているのだそです。十手は必ずしも相手を捕まえるためだけの道具ではなかったのです。今で言うと警察手帳のような役割もしていました。
でも、腰にさしていない時代劇がありました。杉様の「新五捕物帳」です。(注)他にも幾つかありますが。師びいきと言うことで。お許しくださいませ。駒方の新五は、時代考証に忠実でありたいと、細かい所までディテールにこだわったそうです。こんな話もありました。殺陣の撮影の時に、鎖カタビラから全て本物で撮影したら、20分も持たないで、汗だくになり撮影を中止したと言う話もあるそうです。
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